最近ぼくらの中でひそかに盛り上がっているキーワードだ(そうでもないか!)
55と言えば、MLBの松井秀喜選手の背番号と共通してるのはワールドクラスということだ
55と言えば、MLBの松井秀喜選手の背番号と共通してるのはワールドクラスということだ
十数年前、パウダー誌で「45°は退屈だ。55°はないとゾクゾクしない」と言い放ったのは今は亡きダグ・クームス様で、事実、その後順風満帆だったはずのヴァルディーズのヘリスキーオペレーションを売却し、よりアルパイン要素の高いフランスのLa Graveに移り住んでしまったのだから有言実行だったんですね
しかし、その55°いう値は太古の昔よりスキーアルピニズム発祥の地、シャモニではごくごくスタンダードでもあったようで
あちらのクライミングルート集にはこういったものがあり☟
ここにはルートのグレードとともに、ちっこいスキーヤーとスノーボーダーの挿絵がついてるラインがあって滑降されたラインを意味するのだ(日本にもぜひ作ろう!)
ここにはルートのグレードとともに、ちっこいスキーヤーとスノーボーダーの挿絵がついてるラインがあって滑降されたラインを意味するのだ(日本にもぜひ作ろう!)
まだまだ歴史の浅かったスノーボードですら(当時はスノーボードと言える代物ではなかったはず!)、80年代にはえぐ〜いラインが刻まれていて、86年パラシュートでプチ・ドリュの山頂に降り立ち、ルートの三分の二を懸垂し、250mの懸垂氷河をスノーボード滑降するというなんともXなBruno Gouvyが最たる例だろう(マジっすか!)
そして、Brunoの死後、Jerome RubyとDede Rhem が数々のラインを攻めまくり、最高傑作として語り継がれるのはマックス60°はあろうかという蒼氷の張ったラインのトリオレ北壁をやっちまったこと!!!
ここら辺を受け、ビッグマウンテンスノーボードを題材にした「LINES」ではあのノア・サラスネックをして「人々はエクストリームというけれど、俺たちはただパウダーを滑っているだけで、本当のエクストリーマーはシャモニの連中だ」と呆れ顔をしていたのが忘れられない
そして、Brunoの死後、Jerome RubyとDede Rhem が数々のラインを攻めまくり、最高傑作として語り継がれるのはマックス60°はあろうかという蒼氷の張ったラインのトリオレ北壁をやっちまったこと!!!
ここら辺を受け、ビッグマウンテンスノーボードを題材にした「LINES」ではあのノア・サラスネックをして「人々はエクストリームというけれど、俺たちはただパウダーを滑っているだけで、本当のエクストリーマーはシャモニの連中だ」と呆れ顔をしていたのが忘れられない
そして、90年代後半熱が冷めた様に思われたシャモ二のスノーボードアルピニズム界に彗星の如く現れたのが、Marco Siffrediくんで、
2002年エヴェレスト北壁ホーンバイン・クーロワール(一番はじめの写真)で遭難するまでの数年は、ビギナーズラックでは到底片付けられないファースト・ディセントを含めた快記録を打ち出していた(スノーボード初めて1年でエギーユ・ドュ・ミディ北壁を滑ったそうな、、、)
とくにトクララフ帰りの Jean-Marc Boivinの89年以来、セカンド・ディセントだったヴェルトの最大60°強のラインは強烈な印象を残し、ただのスノーボード・パンクでは無いことを証明してみせたもんです
そして、標高の低いところでは飽き足らず、ネパールのドルジ・ラクパ(6988m)を初滑降すると、チョー・オユー(8021m)を挿み、
2001年、初のエヴェレスト遠征でオーストリアのStephen Gattと激しい初滑降争いを演じ、途中バインディングの故障もありながら、22歳のバースデイの翌日、山頂からノートンクーロワール経由ABCまで板を脱ぐことなく滑り下りてみせた(Gattは無酸素でミニマムのサポートだったため、クライムダウンを強いられたセクションがあった⇒すげーですけどね、こっちも)
そんなマルコも翌年ホーンバインで消えてしまった(涙)、、、まだ見つかっていない
遭難直前、山頂からの滑降を準備するMarco
遭難の原因はスラフで弾かれてボトム落ちしちゃったのか、シュルンドへ滑落したのかはわかっていないが、当日の雪のコンディションは決して良くなかったようだ
2002年エヴェレスト北壁ホーンバイン・クーロワール(一番はじめの写真)で遭難するまでの数年は、ビギナーズラックでは到底片付けられないファースト・ディセントを含めた快記録を打ち出していた(スノーボード初めて1年でエギーユ・ドュ・ミディ北壁を滑ったそうな、、、)
とくにトクララフ帰りの Jean-Marc Boivinの89年以来、セカンド・ディセントだったヴェルトの最大60°強のラインは強烈な印象を残し、ただのスノーボード・パンクでは無いことを証明してみせたもんです
そして、標高の低いところでは飽き足らず、ネパールのドルジ・ラクパ(6988m)を初滑降すると、チョー・オユー(8021m)を挿み、
2001年、初のエヴェレスト遠征でオーストリアのStephen Gattと激しい初滑降争いを演じ、途中バインディングの故障もありながら、22歳のバースデイの翌日、山頂からノートンクーロワール経由ABCまで板を脱ぐことなく滑り下りてみせた(Gattは無酸素でミニマムのサポートだったため、クライムダウンを強いられたセクションがあった⇒すげーですけどね、こっちも)
そんなマルコも翌年ホーンバインで消えてしまった(涙)、、、まだ見つかっていない
遭難直前、山頂からの滑降を準備するMarco
遭難の原因はスラフで弾かれてボトム落ちしちゃったのか、シュルンドへ滑落したのかはわかっていないが、当日の雪のコンディションは決して良くなかったようだ
マルコに続いてアメリカのStephen Kochもホーンバインにチャレンジするも敗退してしまった(だいたいアソコ滑れるん???)
決して高所からの滑降だけがエクストリームとは言わないが、標高は斜度とともにメジャーな要素になるんですよねぇぇ
ただ、今の道具のめざましい進化を考えれば、スノーボードアルピニズムの世界は退化してしまっているのかな???それとも、文明の発展とともにプレイヤーそのもののメンタルの退化?
いつの日かとてつもない記録が生み出されるかもしれないけど、一言だけ言わせて下さい!男の中の男、若きスノーボードアルピニズム継承者よ、、、
出てこいやぁぁぁぁぁぁぁぁ
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